些末なこと

何の役にも立ちません

悼むこと

もうすぐ友人の命日がくる。高校からの友人で、女優みたいに美しくて、なのにとても控えめで思いやりのあるひとだった。

何か月か前、彼女のご主人から家族親戚のみで行う法要に出てもらえないかと、共通の友人とともにお誘いをいただいた。とても迷ったけれども、予定があると言ってお断りさせてもらった。本当は行くべきなのだと思う。でも、冠婚葬祭や入学式卒業式などのセレモニーが物凄く苦手なのと、自死してしまった彼女のご両親にどんな顔をしてお会いしたらいいのか分からなくて、どうしても気が進まなかった。友人たちと幾度となく泣き合ってきて、それがやや同調圧力になりつつあり辛いのもある。そうやって苦手なこと、辛いことから逃げるのは自分勝手でわがままだと思う。彼女が知ったら苦笑するだろう。とても人には話せないし、断ったあとも自分の中でずっとわだかまっている。それでも、悼み方は人それぞれだと思いたい。

彼女が逝って一年も経たないうちに別の友人が亡くなり、葬儀で遺体に対面する場面があった。大勢の友人知人たちが顔を見に行って泣き崩れるなか、わたしともう一人の友人だけは対面しなかった。元気なまま覚えておきたいね、と話しながら。つくづく逃げていると思う。弱いなあと。でも、そういう人もいていいよね、と心のどこかで思っている。

 

うちの冷蔵庫には彼女や友人たちが家に遊びに来てくれたときの写真が貼ってある。毎日、美しい笑顔の彼女が必ず目に入る。色んなことを思う。まだ彼女がいなくなったことを信じられない日もあるし、穏やかに受け止められる日もある。

その子はミスチルが好きで、ライブのチケットを買うために二人で徹夜で並んだ(と書いて思い出したけど、わたしライブ行ったんだっけ…?記憶が…)。文化祭の準備をしながら夕暮れの空っぽの教室で二人でALIVEを聴いて感傷的になったこともあった。彼女が結婚したとき、誰かのものになってしまった気がしてどこか寂しく感じたりもした。なんで死んじゃったんだろう。ただただ、もっと生きていてほしかった。

命日にはAlIVEを久しぶりに聴いてみようと思う。