些末なこと

何の役にも立ちません

M3-2023春と創作のこと

過日のM3ではありがとうございました。今回、初めてCDではなくブックレットとダウンロードコードという形を試してみましたが、当日・通販含めたくさんの方に手に取っていただき、また感想なども送っていただけてとても嬉しかったです。
CDは好きだけれど、自分自身聴く環境は難しくなりつつある。でも好きなアーティストの印刷物は手元に置いておきたいし、自分のつくったものが形になるのはやっぱり嬉しい。販売したものをサブスクでも配信してより聴きやすい環境に置きたいけれど、買ってくださった方に申し訳ないのでは……?などなどのジレンマについて、他の出展者さんたちともお話できたのも良かった。みなさんやはり色々考えていらっしゃいました。

その反面、来てくださった方の中にはサブスクから知りました、とか、サブスクにしかない曲をCDでまとめる予定はないのですか、と声をかけてくださったりもして、どういう形態がいいのだろうと考えてしまいます。

そういえばわたしはせっかちで遅れに対する恐怖心がとても強く(年々加速していて困る……)、待ち合わせなども2,30分前に着くのは当たり前、定時の何十分も前にタイムカードを押さないと気が済まない質で、今回の曲集もM3の2か月くらい前には完成していました(曲自体は更にもっと前)。ただ、あまり早く作りすぎるとその間に出来ることやプラグインが増えたり、音の好みが変わったり、違う曲に取りかかってそっちに関心が移ってしまったり、スケジュール管理やモチベーションの維持などもなかなか難しいものだなと思います。

 

次回以降のM3はまだ未定ですが、来週は鳥のシングルが一曲、来月には鳥EPの5弾、再来月にはインストが一曲それぞれサブスクで配信される予定です。そのほか秋頃までにご依頼いただいているものやお誘いいただいているものがいくつかあるので、どれも楽しみながら焦らず丁寧に制作したい。禁せっかち。それと並行して勉強もしつつ、また曲を作ろうと思っています。次は何をつくろうかと思案したり、ラフを出してみたり、音楽や絵や本や景色やその他諸々からインスピレーションを得るのは楽しい時間です。

ピクサーの『ファインディング・ニモ』の最後の方に、船の網にかかってしまった魚の大群が「泳ぎ続けろ」と互いに声掛けをして最終的に網から脱出できるシーンがあるのですが、いつもあの「泳ぎ続けろ」という声が頭にある気がします。作り続けろ、手を動かし続けろ。でもそれは先述の脅迫観念とは違って、たぶん作ることそのものが自分にとって最大の救いだから。

誰かの作業工程や作品に込める思考や熱量に触れるのもとても好き。手を動かし何かを作ることは、人間を人間たらしめることで、そこで産み落ちた何かが例え作者一人のものになったとしても、その人を救う行為なのだと思っています。

"Garden"のこと

2022年4月24日に開催されたM3春にて、「Garden」という曲集をリリースしました。

ライナーノーツというのは気恥ずかしいけれど以下覚え書きです。

 


今回は花をテーマにして、ジャケットはエモチカさんにご依頼しました。

エモチカさんはTwitterで知り合い、物凄く可愛くて色彩豊かな作品を描かれる大好きな方です。花、庭をイメージしています、くらいのおぼろげな依頼だったのに、テーマカラーとラフをセットでいくつも提案してくださって、そのどれもが本当に魅力的で……。一つに選ぶのは至難の業でしたが、深緑の色合いと小さな女の子に惹かれてこのデザインで描いていただきました。凄く凄く素敵な仕上がりにしてくださって、本当に宝物です。M3ではジャケに惹かれて立ち止まってくれたり、購入してくれた方もいらっしゃいました。
それから、この時にはまだ曲が揃っていなかったけれど、最終的に少女、女性が通底するテーマのひとつになったのでそこも有難かったです。
曲目には好きな花や思い入れのある花を選び、花が咲く春夏秋冬の順に並べ、最後にシロツメクサで春に戻ってくるようにしました。秋あたりに花枯れを歌った既存曲「Wither」も入れました。

 

Mimoza
毎年買いたくなる、とても好きな花です。国際女性デーの花でもあり、女性に限らずですが誰もが痛みや制約、どうにもならなさを抱えながら懸命に生きているなあということを歌いました。
「わたしはわたしを生きる」という言葉は、もう何年も前から何か辛いことがあったり疎外感で苦しくなったりしたときに自分の中で噛みしめる言葉です。わたしはわたしを生きよう、と下手をすれば口に出してしまうと、不思議とふっと楽になります。つい背負いがちな役目なんて気にせず、誰かがはめてくる属性なんてくそくらえで、あなたもわたしもしなやかに自分を生きられたらいいねという歌です。

 

Hina
「深夜の2時間DTM」というTwitterの企画で雛祭りがテーマだったときにつくったものを膨らませた曲です。
七段飾りでかくれんぼをしたことも、お椀や牛車で遊んでいたことも、人形が突然落ちてきて悲鳴をあげたことも実体験です。母が祖母に買ってもらったという古いお雛様は、狭い団地の薄暗い畳の部屋に飾られていました。綺麗ではあったけれどひたすら怖かった。
ちなみにそこそこひねくれた子どもだったので、お嫁さんに憧れたことは一度もありません。

 

Gypso
数年前から一緒に曲をつくっているShushi Matsuuraさんとの共作です。彼が作ってくれたトラックにわたしが歌をのせて返し、仕上げてもらうといういつものやり方でつくりました。


去年、海辺で売っていたブルーのカスミソウがあまりに綺麗で感激して衝動買いしたら、インクを吸わせて染めているのだと知ってちょっとがっかりした思い出があります。こぼれ落ちてしまうくらいさりげない小花ってとても愛おしいです。

 

Dokudami
むしってもむしってもしたたかに生えてくる、強烈な匂いのあの花を曲にしました。ピアノレスの曲を一曲くらいは入れたいと思い難儀しながら真っ白なDAWに向かいました。

 

Ortensia
ずいぶん前に友人からあなたは紫陽花のようなひとだねとiittalaのortensiaの器を贈ってもらったことがあって(なぜ紫陽花ぽいのかは謎)、以来なんとなく気になる花です。何かに巻かれたいけど巻かれずに、君を君たらしめているものを追求していきたいね、というようなことを言っていると思う。
アイザック・アシモフ『黒後家蜘蛛の会』で毎回ゲストが「あなたをあなたたらしめているものは何ですか」と質問されるところが好きだなあと思っていたのだけど、これを書くにあたり読み返したら「あなたは何をもってあなた自身の存在を正当となさいますか」と言っててとんだ記憶違いだった。
青や紫より淡い白や薄いピンクの小さな花びらの紫陽花が好きです。枯れかけも素敵。中盤は日本の古代色から紫陽花の色を歌いました。

 

Manjyusaka
これも「深夜の2時間DTM」でつくった曲で(確か秋の花がテーマだったか…?)、その当時slowstoopさんがめちゃくちゃ格好良くリミックスしてくれました。うねるベースやギターを弾いてくださってとても嬉しかった。

彼岸花には毒があるから触ってはだめと母からきつく言われていたので、昔はこの花を遠くから眺めるだけでも怖くてたまらなかった。小さな頃は怖いものだらけだったけれど今はほとんどありません。大人になってしまった。

 

Wither
以前単発でつくった曲です。花が枯れて朽ちていくさまは美しいと思う。徒花咲き散る、の部分は自分でも気に入っている歌詞です。三声でハモるのが最近楽しくてラストはこてこてにハモりました。
今回全編に花や花にまつわる言葉を散りばめました。テーマが決まっていると歌詞を書くのがとても楽しかった。

 

Snowdrop
昔、「森は生きている」という演劇が大好きだったので、劇中で大切な役割を果たすマツユキソウは自分にとって特別な響きを持つ花です。でも実際に見たことはなく、なんとなく寒い国つながりでアアルト展で見たパイミオのサナトリウムの写真などを思い浮かべながらピアノを弾きました。
最近ロシア情勢のニュースを見るたび、「森は生きている」のことが頭をかすめます。

 

Cammelia
椿が落ちるさまを昔の人は斬首に例えたという話も聞きますが、冬のつめたい空気のなか艶やかな花や葉をたくわえる椿は美しいなと思います。幼い頃は暇すぎて椿の花をむしり花びらを剥いでいって花粉を地面にこすりつけるという残酷な遊びをしていたなあ。
最近「ウイングスパン」という鳥のゲームの影響で鳥が大好きになったのですが(単純)、それ以前からずっと好きなのがパフィンで、花がテーマのこの曲集をつくりはじめてからエトピリカの別名が花魁鳥であることを知った時は(花魁も物凄く好きだから三重に嬉しい)絶対に歌詞に使おうと震えました。なのでかなり無理矢理な感じで入っています。
「惑う時は遠くを見る 和らいでいく 動く限り」というのはわたしなりの嫉妬対処法です。

 

Clover
花冠をつくる、というフレーズからつくりはじめた曲です。シロツメクサの原っぱの真ん中にうずくまって無心で花を編む時間は幾つになっても幸せで、同時に幼い頃のことがフラッシュバックして切なくなります。シロツメクサの名は船の積み荷のクッション材として使われていたことに由来すると聞きました。そんなさりげなさも好きです。
終盤の「お下げが~」からのメロディは自分の好きな感じを詰め込みまくっていて、思いがけずこれがぽろっとボイスメモに録れたとき(いつもそういう作り方です)、この曲をラストに入れようと決めました。

 

おまけ
シークレットトラックが好きなのでひっそり入れました。これまでつくったCDのシークレットトラックはすべてハ長調の曲です。ピアノ弾きにとっては原点のような気がします。
昔は「光」という言葉に仰々しさやわざとらしい明るさを感じて抵抗があったのですが、以前歌詞を書いてもらった際に歌った「光」というフレーズを聴き返すたび、自分の声ながら不思議と力をもらう感じがして以来良い言葉だなと思えるようになりました。


出発点は花でしたが、枠にはめられることなくわたしはわたしを生き、幼少時代の思い出も愛でつつ自分だけの小さな庭を育てていこう、という曲集になりました。
一緒につくってくださった方々、そして手に取ってくださり、聴いてくださった方々に心から感謝しています。ありがとうございました。

アルバムをつくっていること

プロアマ問わず、ジャンルを問わず、何かをつくっているひとの過程や制作日記やセルフライナーノーツなどを読むのがとても好きなのだけど、自分がやるとなるととてもおこがましくてなかなか書けない。そんなことしている時間があったらコード理論の本を読め、音楽を聴け、ミックスの勉強をしろと思う。けど、一応備忘録に少し書いておこうと思いたち、いつぶりかにここを開いた。

いま、春に向けてアルバム(と書くのも気が引ける…。そんな大層なものではなくて小曲集だ)をつくっている。全体のテーマを決めて、きりがいいから10曲入りと決めて、とても好きな絵を描かれる方にアートワークをお願いした。
Excelで曲名、BPM、調、拍子、長さ、歌入りかインストか、ドラム入りかなしか、曲調など一覧にする。調や拍子などはなるべくばらけさせたい。声の音域が異様に狭いのでキーは似たり寄ったりになるし、今回は4拍子の気分らしく4拍子ばかりになったけど。
Wordにはすべての曲の歌詞を並べてみる。手癖のように同じ言葉を何度も使ってしまうので。歌詞はスケッチブックに鉛筆で線を引いたり言葉を足したり引いたりしながら書いているけど、手書きだった時には気づかなかった違和感にも気づけたりする。
できた曲は、調整途中でもiPhoneにプレイリストにして入れて決めた曲順通りに繋げて聴いたり、聴き比べたりする。あまり聴くと飽きるので(既にちょっと飽きてる)、そこそこにする。

色々並行しながらつくって、過去のものや共作していただいた曲も入れて、今8曲ちょっとくらいまできた。今までで一番丁寧につくれていると思う。上手い人の曲を聴くと自分の稚拙さに打ちのめされるけれど、それは少しずつ努力していくとして、比較対象は過去の自分でいい。というわけでもう少しがんばります。
よく、イントロは短くとかお洒落コードが云々などのツイートを見かけるけど、仕事でやっているのではないのだから誰かに寄せる必要もなければメインストリームに乗ろうとする意味も皆無で、ただただつくりたいものをつくればいい。そうやってつくれるのって、なんて自由でなんて幸せなんだろう。本当はごく当たり前のことなのに、先日改めてぽろっと口にしたとき、目に見えない縛りみたいなものから解放された気になった。気乗りしなければやらなければいいし。そういえば映画『メインストリーム』で冒頭、何もないのに何かを発信したい女の子が言われる「そんなに赤の他人に承認されたいのか?」という台詞好きだった。
最近少し思ったのが、何かを溺愛しすぎたり目標とする人物を明確に決めすぎたりすると進み続けるのが難しくなるのではということ。曖昧で、行き当たりばったりで、雑多に色々なものが好きで、嫌いなものもたくさんあるけど、長く楽しむならそんな感じでいいんじゃないかなあと。

あと、何かの曲をつくろうとピアノを弾いていた時、ふと数年前に愛知で行ったアアルト展の様子がばーっと蘇った。パイミオのサナトリウムとか、木立の写真とか。あの静謐さやきーんと冷えた感じを音に落としこめたらどんなにいいだろう。それが出来たか否かは別として、作品そのものだけじゃなく展示の空間もインプットになるんだなあと思った。

スニーカーのこと

高校生の頃、わたしはニューバランスのひとだった。仲が良かった4人組はジャックパーセルの子、スタンスミスの子、ナイキの子で、わたしはニューバランス。なんとなくみんないつも同じメーカーのスニーカーを履いていた。

先日、この歳になって初めてスタンスミスを買った。あの白さが眩しくて、ちょっと嬉しかった。でも靴擦れする。ジャックパーセルの子は何年か前にいなくなってしまって、特別な靴になった。今度白を買いたいなと思う。

DAWを変えたこと

Pro ToolsからStudio OneにDAWを乗り換えた。噂通り何となく音が綺麗になった気がするし(ちょっときらきらした感じ……たぶん)、直感的に使える部分も多いけれど、用語の違いやそもそもの概念のようなものが違うところが多くて慣れない。
マニュアルも買ってみたけれど、知りたい基礎の「き」のようなことが結構省かれている。ループのやり方が分からない、パンの振り方が分からない、ソングのテンプレートの消し方が分からない、波形編集の仕方が分からない(できないのかも。プロツーはオーディオの波形を拡大してリップノイズなどを鉛筆ツールで直せてとても便利だった)……などなど、もともとDAWも編曲も苦手なのに分からないことだらけなのがストレスで、DAWを開かなくなる。曲をつくらなくなる。つくらないとつくれなくなる。2時間DTMをやり始めても一から調べることばかりで完成に至らずますますストレスがたまる。という負のスパイラルの中にいます。
まず黒い画面に蛍光色のトラックという見た目も目がちかちかして苦手、、灰色のプロツーは良かったなあ。背景変えられるのでしょうか。音源もいくつか移植できてない。
みんなこういうのを頑張って乗り越えているのだろうな。早く慣れたいです。

好きだった人のこと

大昔好きだった人はとても気が強かった。声が大きかった。ギターの音も大きかった。本当は繊細だった。あと酒に飲まれる人だった。一緒にごはんを食べたとき、お店で出てきた料理に「まっず」と言ったのを聞いて、一瞬にして醒めた。靄が晴れていくみたいに。その時も彼はだいぶ酔っていたけど、「不味い」と口に出す人は苦手だ。こう書いててもその人のどこが好きだったのかよくわからない。
「非難はコンプレックスの裏返しだよ」とも言われた。言われた状況は忘れたけれど、たぶん何かを揶揄していたわたしに釘を刺したのだったと思う。

誰かが誰かの言動をあげつらっているとき、一番にそれを思い出す(もちろん差別発言とか犯罪行為のような明らかな悪事に対しては別)。自分がクリアしている内容や、そもそもまったく興味がなければわざわざあれこれ言わないだろう。癇に障るのは自分が気にしていることだからだ。それどころか、傍から見ると非難する側の人も同じ穴の狢では?と思えてしまうこともある。
何か非難したくなったり引っかかったりするときは、いったん飲み込んでそこに自分の負の部分や乗り越えたい何かを俯瞰できたらいいんだろうと思う。というのはあくまで理想で、そうそう冷静にはなれないのでもやもやしたら身近な人に吐き出させてもらったりしています。

日曜日のこと

日曜日がものすごく苦手で、家にこもると鬱々とするのでなるべく人に会ったり外に出たりしている。最近、家にいるときは日曜日の18時からやっているピーター・バラカンさんのラジオを聴くようになった。リスナーの年齢層が高いのか、落ち着いた音楽や古い音楽と一緒に流れるピーターさんの滋味深い声がとても心地良くて、憂鬱でたまらなかった日曜の夜がだいぶ変わった。
この間、ピーターさんが曲の紹介をしていたとき「詳細はぼくのツイッターに載せたので良かったら見てみてください」と言っていて、そのどこでも聞かれそうな何気ない言葉がやけに刺さった。わたしを筆頭にSNSに苦慮したり距離感が難しくなってしまう人って多いだろうなと思っていた矢先だったので、ああいいなあと思った。プロの方とわたしのような一般人とはまるで違うので具体的にどうこうということではなくて、その軽やかさとか、拘泥しない、媚びていない感じがとても素敵だなと思った。ピーターさんのツイッターはまだ見たことがないのだけど。

 

この3日間はフジロックの過去の配信を観ていたので、ラジオは聴かなかった。ライブっていいな、バンドっていいなと思いながら、涼しい部屋でぼけっと眺めていただけのくせに満足感と疲労でくたくたになった。諸々含めてサマソニの方が好みだけど、いつかまた行けたらいいなあ。