些末なこと

何の役にも立ちません

恐怖と浄化のこと

所用があって友人と少しだけ外で会った。大好きなひと。少し話せるだけでも気持ちが変わる。また一緒にごはんを食べたり美術館に行ったりしたい。彼女はGWに手術を控えていたのだけど、その病院がコロナの患者を受け入れておらず、他の病院に資材を譲っていて足りなかったり輸血が十分にできない可能性があったりするとのことで延期になったらしい。そんな影響もあるのだなと知る。近々無事手術を受けられるとよいけれど…。

たまたま、別の友人たちとも遭遇した。どうしているか心配していた妊婦の友人からもLINEがくる。みんな強かに、冷静に現状を過ごそうとしていて、社会や政治のこともしっかり見つめていた。そのまっとうさに力をもらう。とある医師が、情報に振り回されむやみやたらに恐怖する患者が多くてモチベーションが下がると書いていた。恐怖に踊らされて差別したり見境がなくなったりするひとが周囲にいるのはしんどいと思う。

SNSに入り浸っているとたくさんの刺激や良い作品に触れられるけれど、同時にぎらぎらした自己顕示欲や成り上がり欲にあてられてしまう(もちろん自分も含めて。日々自己嫌悪の繰り返し)ので、時々会う彼女たちにそういうものを浄化してもらっている気がする。

誰かの話のこと

人の話を聞くのが好きだ。前向きな話もネガティブな話も。聞いた話を別の人に話すのも好き。でもおつむが壊れつつあるので(前から)誰から聞いた話を誰に話したのか覚えていられない。

ワカサギ釣りをしていてスマホを湖に落とした友人の話とか、インド旅行で「安くていい宿があるよ」って現地の人に連れていかれ、本当に良い所だったので泊まり、翌朝やたらいい匂いがしてきて外に出たら宿の裏が遺体の焼き場だった話とか(そのまま連泊したらしい)、そのうち聞いた話を本人にしてしまいそうだ。

お茶を飲みながらそんな話を聞けるのって、贅沢な時間だったんだなと今は思う。最近、友人とメールすると「無事でいてね」とお互い言い合う。こんな日がくるとは思わなかったけれど、慣れ切った日常を愛おしむ機会にはなったのかもしれない。一日も早く、世界中の最小限の弊害とともに平常へ戻れますように、とそればかり。

 

ハリー・ポッターの映画をいくつか観直していて、そばで観ていた妹に「これって~だよね」と言われ驚愕する場面がいくつかあった。わたしは本を読んでおらず彼女は熟読しているので、映画で説明されなかった、でも知れたら楽しい設定を色々教えてくれた。これ省略しちゃうの!と言いたくなるようなフックになる部分もあったので、これを機に本もちゃんと読んでみようかな…。訳がちょっと苦手で何度も挫折してしまったのだけど。

妹は長年の勘でわたしがわくわくする話や展開を知っているので、そういうのを絶妙なタメをつくりながら話すのが上手い。ので、映画やゲームのあらすじを話してもらうのはとても楽しい。性格も見た目も嗜好も全く違うのにそれなりに仲がいいのは一緒に暮らしていたからだろうけど、最終的にどうしても分かり合えない部分があるのは長女か次女かという境遇の違いだろう。そこの溝は少しだけ寂しかったりする。それでも、おばあちゃんになっても彼女と映画観てあれこれ言ったり、ゲームしたりできていたらいいなとぼんやりと思った。

 

追記:妹に「分霊箱がさ」と何度言っても聞き取ってくれないのでなんでだろうと思ったらラストまで読んで&観ていないらしい…。それでよく講釈をたれるなあ、わたしが悪気なくネタバレしたらどうするつもりだったのか。あと人は知らない単語を聞き取れないものなんだなと改めて分かりました。

ラッパを吹くこと

誰かを褒めたり、贈り物やお祝いをしたり、慈善活動をしたりするとき、虚栄心や下心がその行為を超えて見えることがある。善意だから余計に厄介だし難しい。

聖書に、施しをする時はラッパを吹き鳴らしてはいけないという言葉があると知ったときは溜飲が下がる思いだった。発信することで広がることもあるから良し悪しだろうけど、黙って何かをしている人や何の見返りも求めていない思いに触れると心震える。そういう人に思いを馳せていたいし、いつかわたしもそうあれたらいいなあと思う。

 

お天気雨の中少しだけ近所を歩いた。静かな週末が終わっていく。

ボタンのこと

しょっちゅう考えていることなのだけど、目の前にボタンがあって、それを押した途端ふっと消えてしまえるとしたら、思わず押してしまう人は多いと思う。わたしも日によってはそう。でも、現実にそんな安易なボタンはない。消えて楽になってしまいたいと思うことと、実際自分を死に至らしめる行為をとり想像しえない痛みや苦しみを伴いながら死にゆくことはものすごく乖離している。この乖離が、たくさんの人をなんとか押しとどめているし、生きるということなんだと思う。

不要不急といえば自分そのものが不要不急だろう。現場でたたかっている方々を尻目に、ぐだぐだするしかない日々。スーパーの空の棚を見て思い出す9年前のこと。知るべきことと、嘘や知らなくていいことや強い言葉。閉じこもって削られる神経。いつの間にかすり減って、年配の知り合いが不意に送ってくれた手紙や、申し込みをキャンセルしてかけてくれた「謝る必要なんてないんですよ」という優しい声にいちいち泣けてしまうくらい弱ったので、少し情報を遮断することにした。そういう人、少なくないと思う。弱いし利己的だなあと思うけれど、自分が潰れては元も子もないから防衛と思うしかない。

早く映画やライブが観たい。人とごはんを食べに行きたい。実際にはなかなか行けなかったりもするのだけれど、行けるという選択肢があることがいかに生活を支えてくれていたか、こうなった今よくわかる。

自粛のこと

「自粛」という言葉で逃げず、それによって損失が出る人たちの救済をすべき、わたしたちは一体何のために税金を払っているのか。呆れることしかしない政権だけど久しぶりに怒りを覚えた。

早く平常に戻るといいね、と何人かの友人と話す。何もできないもどかしさや先の見えない不安はみな同じだけど、感情的にならずお互いを労りあえることがありがたく思えた。たまたますぐには収入の減らない環境にいるので、本当に微々たる力ではあるけれどお金を使える場面では積極的に使いたい。

綺麗な曲や電子っぽい音より今は歪んだギターの音が落ち着くのでそういうものばかり聴いている。自分でも弾けたら良いのにと思いつつ、弾けないから良いのかもしれないとも思う。

コンピに参加させてもらったこと

w-mさん(https://twitter.com/fushigi8888)主催のコンピレーションアルバム、『My Turn,Your Turn』に参加させていただきました。

https://linkco.re/BEqRBQfT

 

w-mこといしはまさんの楽曲と、参加者の曲をお互いカバーし合うという企画で、わたしを含め7名・組が参加しています。

3月10日にリリース、サブスク配信、特設サイトのアップをしてくださったのだけれど、日付が変わる頃サブスクを見に行ったらもう配信されていて、特設サイトにいしはまさんが一曲一曲丁寧に書いてくれたコメントを読みながら聴き始めたら彼の誠意と曲そのものに初っ端から胸打たれてしまって。カバーってなんてよいんだろう、愛だな、と夜中にふとんの中でひとり泣きました。

プロがライブで誰かのカバーをしていたりするとものすごく嬉しいし、上手い人のカバーって自作曲以上にその人の良さが滲んだりするから良いなと日頃から思っているのですが、いしはまさんのカバーはとにかく上手いしバリエーション豊かだし細部まで丁寧につくりこまれていてそれでいてエモくて最高だった。そして参加者の方々のカバーがどれもまた良くて…。いしはまさんの楽曲の良さを再発見できるし、その人の凄さや個性がほとばしっていて壮観だった。カバーやっぱり大好きだ。

自分が書いた歌詞を歌うのってどこか気恥ずかしさや後ろめたさがある気がするけど(わたしだけ?)、人が紡いだ言葉だとそういうものから解放されて歌えるので、そこもまたカバーの好きなところなんだと思う。

 

わたしはいしはまさんの『自縛』という曲をカバーさせてもらった。シニカルな歌詞とのびやかなサビが大好きな曲。

リリックビデオ(https://www.youtube.com/watch?time_continue=2&v=f7ZxZtLQ-S8&feature=emb_title)を日々観ながらどうしようかなと長い間考えあぐねていたのだけれど、いしはまさんとわたしは性別もメインの楽器も違うのだから、テンポ、キー、コードは変えずに思い切りシンプルにしようと決めたらあっという間でした。ピアノは一発録りだけど歌は息継ぎが難しくて何度かやり直した。クソみたいな本能で交尾してばかり、とか反吐が出そうさ、とか歌うのは楽しくて仕方なくて、ずっと歌っていたかった。反吐が出そうなことばかりだよね、って思いながら。

 

そしていしはまさんはわたしの『Hollow』という曲をカバーしてくれた。2年くらい前につくったかなり思い入れある曲なので、イントロから泣けて、いしはまさんの声が入ってきて泣き、Bメロで泣き(これはうそ)、、、わたしはギターが大好きだけれどもまったく弾けないので、自分の原曲で両側から違うギターのフレーズが流れてくるだけで嬉しくてたまらなかった。ベースのスライドもドラムのフィルも、一つひとつが嬉しい。アウトロのコーラスをギターで弾いてくれてまた泣き、そのあとの泣きのギターソロで泣き(しつこい)、エンディングもピアノのフレーズ取ってくれていて。自分のつくったフレーズを違う楽器で弾いてもらうのって鳥肌が立ってしまう。音楽ってよいなとただただ泣けたのでした。

夜中、ずびずびしながらツイッターに行ったら同じように感激している参加者さんたちがいらっしゃって感動を分かち合いました…。正直なところコンピってなかなか参加者以外の方に聴いてもらいにくい気がしていて、内部で盛り上がりすぎると余計そうなってしまうかも、と思って控えようとしていたけどこの夜ばかりは無理でした。

素敵な企画に参加させてもらってひたすら感謝です。いしはまさん、ありがとうございました。

M3に出展したこと

2020年M3春に出展しました。年に2回行われている音楽の即売会で、一般参加含めて5回目、出展は3回目。コロナの関係で開催が危ぶまれていたけれど、準備会は多方面へ配慮をしつつM3が今後も存続していけるような細やかな対応をされて、辞退される方や一般参加を控える方もいらっしゃりつつ開催されました。記憶があるうちに雑感など書いてみます。

 

*CDのこと

夜と冬、歌多めくらいしかコンセプトがないままつくりだしました。気にいっていた過去曲も、歌詞を書き足していただいたりしてつくりなおしています。

普段、歌の場合はボイスメモに即興で弾き語りして、それを耳コピしながら再構成して、歌詞を書いて一曲にする、というつくり方をしてます。その原曲をつくる部分が一番好きで、その後は苦行に近い。何でこんなに下手なんだろう、何で理想とかけはなれてるんだろう、技術がない、こんなものを買っていただいていいのか、でもやっぱり好きだし、と悶々としながら作業して、それを数曲並行しているとわけがわからなくなってくる。プロはやっぱり凄い。

楽器を足して、歌入れたりしてなんとなく形になってくるとまたやや楽しくなってきます。仕事の昼休みに聴いたり、車で流したりして、気になるところを書きとめておいて直します。「6曲目のピアノ転んでるよ」「8曲目のあの部分歌えてないよ」とか優しい言葉で自分に語りかけておくと、見返したときにそうか仕方ないなあと思いながら直せます。その後また苦しみながらつくり、出来上がると嬉しくなってたくさん聴きすぎて飽き、発表前には次の曲をつくり始めていて意識はもうそちらに移っている、というのがいつものパターン。一曲を丁寧に仕上げ、粘り強くプロモーションできる方は本当に凄いなと尊敬します……。

 

*ジャケットのこと

曲目も揃わないうちに、よるのしっちさんにジャケットを描いていただきたい!と思いたち、すぐDMして快諾してもらいました。何もかも曖昧かつ適当なわたしは(いつものこと)優柔不断だったり話が前後したり言葉足らずだったりしてご迷惑もかけてしまったのだけれど、本当に丁寧にこちらの好みやイメージを尋ねてくださって、好きな画家さんの絵をたくさん見てもらったり、曲をつくったときのうすぼんやり(いつものこと)したイメージを聞いてもらって作業を進めていただきました。そのやりとりもお互いの深淵をのぞくようでとても楽しかった。誰かと何かをつくるのってなんて楽しくて幸せなんだろうと改めて思いました。わたしのやらかした数々のミスの悩みにも付き合っていただいて……。

結果、本当に素敵な絵と手書きの文字を描いていただいて、これ本当に自分のCDなんだろうかって今も新鮮に嬉しく思っています。深謝。

紙ジャケットは少し値は張るけれど、かさばらないし(同じ枚数でジュエルケースの時の4分の1の段ボールで届いた)持ち運ぶとき割れないし、可愛いし、で選んで良かったです。

 

*入稿のこと

wavデータを受け付けてくれるという理由だけで格安のプレス業者さんにお願いしています。でも、今回歌詞カードを印刷専門の業者さんにお願いしたら、紙も自由に選べたし仕上がりも明らかに違ったので、次もしつくる際は誰かにDDPファイルをつくってもらうなどして別の業者さんにしようかなと思った。

締め切りへの恐怖が強いので、2月上旬には手元に届くよう逆算して期限を決めました。だから時間は十分余裕があったのに、それでも気が急いてしまいデザインデータを勢いで入稿したら案の定ミスがいくつか出て反省しました。そういう関係の仕事をしていたので痛い目見たり諸々経験してきたのに全然活きず。校正する際は「複数の目で」「プリントアウトして」「一字一字追う/全体を俯瞰する」が鉄則だと思います。自戒をこめて。

 

*当日のこと

自分のいた会場から出られなかったけれど、出展者は半分くらいだったような印象。お隣の方もお休みでした。お客さんもいつもの半分くらい。寂しくもあったけれど、歩きやすいし(前回人酔いして大変だった)空気もいいし会った方とゆっくり話せるし、正直過ごしやすかった…。

人が少ない中、たくさんの方に立ち寄っていただいて凄く嬉しかった。ツイッターでフォローいただいている方、もう数年来お世話になっている方のほか、半分以上が初めてお目にかかる方だったのだけど、どうやって知ってくださったのかなかなか聞けず……。件の格安業者さんは枚数の細かい指定ができないので今回も大量にプレスしてしまったのですが、新譜は60枚以上手にしていただけて有難かった。本当にありがとうございました。楽しんでいただけたら何より嬉しいです。

ジャケ買いして下さった方や、ジャケ楽しみにしてましたと言って下さった方もいて、ジャケットは大事だなと改めて感じました。そういえば前回出展した際、1枚目の羊の角のジャケットを「わたし角が好きなんです」という理由でジャケ買いして下さった方がいたそうで、好きなものをジャケットにしておくのもいいのかもしれないと思いました。

そうだ、ツイッターのお知り合いで、アングラ感のある曲をつくられる大好きな方が来て下さって、あなたの歌は癒しじゃなくて奥にどす黒い闇が見える(意訳)と言ってくれたのがやたら嬉しかった!後ろめたくもあるけど消せない闇は自分をつくっているものでもあるので。

終わった後、出展していたお友達と売り子を手伝ってくださった方の3人で飲みに行ったのだけど、これもすごく有意義で……音楽への向き合い方とか、共通の知り合いのこととか、年齢も境遇も違うのに深い話を真面目に話せて本当に楽しかった。お互いのことも自然に素直に褒め合っていて、何て素敵な人たちなんだろうと思った。彼らの考察やいただいたアドバイスはしっかり心に残っています。

 

*通販のこと

今回出られなかった方も多いということで、色々な方の新譜をまとめて通販できるアカウントをBOOTHでとってくださった方がいらっしゃって、お声がけいただきそちらにも参加させていただいています。画期的なアイディアだし思いやりに溢れていて素晴らしい企画だなと感激しました。サイトはこちらです。

https://min-mato-mall.booth.pm/

 

というわけで、楽しいM3でした。未熟なのでつくるの大変だしサブスクもあるのだからCDはもう最後かなと思っていたけれどぐらぐら揺らいでいます。売り子をしてくれた方が、直接CDを対面で買っていただけるのってこんなにも嬉しいことなんだね、自分もM3出たくなりましたとLINEをくれて、本当にそうだなとも。

かかわってくださったすべての方に感謝です。ありがとうございました。