些末なこと

何の役にも立ちません

外国の歌を聴くこと

嬉しいこと、さびしいこと、もやもやすること、色々あってなんとなく呆然とする。こういう時は遠い国の音楽。洋楽が好きなくせに英語すらままならないけれど、だからこそ時々聞きとれる単語に胸打たれる。簡単なセンテンスを何度も浴びながら、自分の言葉で解釈したとき、涙が出る。言葉や音楽って自由でいいなあと思う。

いい歳してつるんで陰口叩く人たちはいつ大人になるんだろう?

最近のこと

だいぶ前に電子ケトルが壊れて以来、やかんでお湯を沸かしてお茶を淹れている。電子ケトルは気軽でよかったけれど、やかんで淹れたほうがずっと美味しい。ただ、IHなのでガスの方がもっと美味しいんじゃないかなと何となく思っている。肉とか卵焼きとかは絶対にガスと鉄のフライパンで焼いた方が美味しい。ガス羨ましいなあ。

看護師の妹に時々医学的な質問をすると「わたしもよく分からないけど」「専門外だけど」と前置きする。誰でも簡単に発信できるようになったけれど、分かっている人ほど分かっていない人にマウントを取らないし、当事者ほど迂闊に発言しないと思う。

仕事でよく行く郵便局のお姉さんと顔をあわせるたび少し会話をする。「疲れちゃった、眠いよ」と言いながらお釣りを渡してくれたので「分かります、まだ朝の9時だけどね」と笑ったら「そうそう、まだ9時だけどね。あ、でもわたしもう2時間働いてるんだ」と。そんな勤務形態なのは初耳だった。「そうだったんですね、おつかれさまです」「お互いにね」と笑いながら、色々な人が色々な場所で互い違いに働いているのって心強いなと思った。

土砂降りのなか傘もささずに働く集荷の男性が、荷物を抱えたわたしを笑顔で気遣ってくれた。わたしよりもずっと重い荷物を持っていたのに。ものすごく些細なことだけどとても沁みた。二度と会わないかもしれない人間に、何の見返りもなく親切に接せられるのって、その人にもともと備わった本来の優しさなんだと思う。患者が減って減収するなか感染と隣りあわせで診療している開業医が、前線で対応している医療者に補償を、と訴える声にも胸打たれた。利権が見え隠れする国のキャンペーンとか反吐がでそうなこともたくさんあるけど、人の優しさに救われることも同じくらいある。

2時間DTMのこと

もう数年参加させてもらっているTwitter上の企画、深夜の2時間DTMについて、最近少しもやもやしているので整理してみる。
ここで繋がった方、知ってくださった方もたくさんいるし、良曲とも出会えるとても貴重な場。でも、かつての参加者たちは今は別の場所で活躍しているひとが大多数だし、わたし自身も刹那的な作り方を続けるよりちゃんと腰を据えて作らなきゃと思うので、ちょっと離れたほうがいいかなとも思う。お題を見るとついやりたくなって飛びついてしまうけど、いつまでもいる古参みたいなのもあれだし…。

ただ、よく考えるとわたしは「低クオリティそこそこ量産型」なこと(どうなの)、その日の鬱憤を曲つくったり歌ったりしてガス抜きさせてもらえる場になっていること、単純にDAWに触れる機会が増えること、課題をクリアしたり勉強になったりすること……などなどを考えると、やっぱり参加できるときは参加させてもらえばよいのかなとも思う。ただぼけっとつくるのももったいないので、

・苦手な調でつくる。訓練になるのでできるだけトランスポーズはしないようにしているけど、やっぱり黒鍵が多い調は和音を把握できてなくてコードがより単調になる。
・使ったことのない音色を使う。良かったものはメモしておく(なんで今までやってこなかったんだろう、、これからやる)。
・手癖ではないコードを試す。手癖を増やしたい。
・作り方を変える。普段はピアノで一気通貫でつくってしまうのでそれ以外のやり方を試す。
・色々な歌い方を試す。最近声をパッド代わりにするのが楽しい。パッド探さなくていいの楽。
・最近聴いている曲から何かしらのヒントをもらって試す。
・転調させる(ただ単に好きなので色々やりたい)。
・ピアノ禁止。
・歌禁止。

まだありそうだけど、とりあえずどれかは自分に課してみている。
腰を据えてつくるといっても結局原曲はだいたい2時間以内でつくるし、自分なりに四苦八苦してこねくり回した曲より2時間でつくった曲の方が好きと言ってもらうことも多かったりして、まあ柔軟にやれたらいいのかなと思った。やる、やらないと自分を縛るのもつまらないし。
日々課題ばかりで何から手をつけたらいいのか分からない!!!!!

 

 

 

好きな花屋のこと

近所にある花屋さんがとても好きだ。青緑の壁の、数坪の狭いスペースいっぱいに生花やドライフラワーや花器が並んでいる。そのひとつひとつを、店主がこだわりをもって選んだりつくったりしているのがよく分かる。どれも少しくすんでいて、さりげなくて、魅力的だから。
店主はやや不愛想で華奢な四十代くらいの可愛い女性で、一人で切り盛りしているらしい。朝、よく車から花をお店に一人で運びこんでいるし、他のスタッフを見かけたことはない。仕入れやラッピングやインテリアなど店の隅々までたったひとりですべてを差配するのは、凄いなあと思うし、そんな仕事をできることが少し羨ましくもある。
何年か前に一度花を買ったとき、その店主にとてもつっけんどんな態度を取られて、もう二度と行かないと思った。でも品揃えは近隣のお店のどこよりも素敵なので、少し経ってやっぱり行ってしまった。びくびくしながら花を買ったら、店主は素っ気ないながらも気持ちの良い対応をしてくれて拍子抜けした。そのあともそんな感じなので、多分数年前のあの時は体調が悪かったとか、虫の居所が悪かったとかだったんだろう。あの一回で通うのをやめなくて良かった。
今日はドライフラワーのリースを買ってきた。プレゼント用に、美しく包んでくれた。贈り物にしないでこのまま欲しくなってしまう。

つつかれただけで涙が出そうなくらい参っているけれど、どうにかごまかして夜が来るのを待つ。暗くなるとほっとする。こうして言葉にしてしまうと泣ける。そうやって憂鬱を少し放出する。

愚痴のこと

何かをつくる人の中には内向的な人や目立つのが苦手な人が一定いると思っていて、わたしも無論その一人なのだけども、音楽の場合どうしても誰かの前で、もしくは誰かと一緒に演奏したくなるという欲求がつきまとう。ノリがいいひととかそういうのが得意なタイプだったらいいけれど、そうでない人間にとっては結構不幸だ。
やりたい、けど、わたしごときが人前で、と悶々とした挙句、何かの拍子でえいっとやってしまい(思い切りだけは無駄にいい)、やっぱりいまいちで毎回反省する。下手だから余計につらい。緊張すると毎日練習していてもその何分の一も出せないのだけど、いつか納得いくような演奏ができるようになるんだろうか。あと宣伝もつらい。ツイッターも二日に一回くらいアカウント消したくなる。罵詈雑言も一見いい台詞みたいなのも諸々食らってしまう。弱すぎる。いい曲つくるひとはふいっとどこかへいっちゃうし。
あとそもそもギターの入った曲が好きなのに弾けないからピアノ弾いていたりする件をなんとかしたい。つくれる曲と聴いている曲が噛み合わない。ピアノも好きだけど。
どうしようもない愚痴でした。がたがた言ってないで練習しよう。

 

妹とまたハリポタの話をしていて(自粛で妹とばかり話している)、「AさんがBさんに謎のプリンスって○○のことなんだよってネタバレしたんだよ。酷いと思わない?」と言ったら「今わたしもネタバレされたんだけど。謎のプリンスまだ読んでないんだよ」と怒られた。当時途中で飽きて今頃また読み始めた妹は、まだ炎のゴブレットの途中だったらしい。やってしまった。記憶を消して続き読んでね、と言ったらそんなこと出来るわけないでしょとまた怒られたので、一応最後まで観たわたしとネタバレ踏まずに話す方が無理だよと逆切れしておきました。

芯のこと

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書店で貰えるフリーペーパーが好きだ。これは今年の1月頃貰ってきたもの。本の紹介も、書体やデザインもさっぱりしていて気持ちが少し晴れる。本はネットで買えるけれど、こういうのは書店に足を運ばなければ手に取れない。気軽に長居できる日が早く戻りますように。

 

内容そのものだけじゃなく人の魅力やPRに力を入れることになり趣旨がずれるからクラウドファウンディングをやらない、という方の文章を読んですごく腑に落ちた。芯のある人は素敵だな…。わたしはふらふらだらだらしている。何かを見て落ち込むのをやめたいのにやめられない。強くなりたい。

 

正義って主観だなあとつくづく思う。

花のこと

 

大学で軽音サークルに所属していた頃、もう卒業した先輩がときどき飲み会やライブなどに来ていて、なんで社会人になったおじさんがわざわざ大学生に混じりにくるんだろう、大人げないな、などと生意気なことを思っていた。わたしは20歳くらい、先輩たちは26歳くらいで、今思えば5,6歳の年齢差なんて大したことないのだけれども、あの時感じた違和感は忘れないでいたいなとふと思い出した。つい歳下の人に気安く接してしまうので…。

作家の江國香織さんが昔、絵は画面の隅っこにひっそり佇む花をさりげなく描きこめるけれど、小説でそれをやろうとすると花に焦点が合ってしまうから難しい、という趣旨のことを書いていたのが忘れられない。音楽もそうかもしれないと最近思う。道の片隅で静かに咲く花みたいな曲がつくれるようになりたい。

 

引きこもりつつ、時々は近所の花屋さんで花を買い、文房具屋さんで文房具を、本屋さんで本を、ケーキ屋さんでケーキを買っている。おじいちゃんがひとりで営んでいた自転車屋さんは閉店してしまった。どれだけ大変なのか想像もつかないけれど、愛着のある個人店が生き残ってほしいと願っています。